ゲーム好きの少年が介護の世界へ|人生の予想外すぎるスタートライン
私の人生を振り返ると、本当に「何が起こるか分からないものだ」としみじみ感じます。小学生の頃、親からファミコンを与えられたのがすべての始まりでした。「人からもらってきた」と両親は言っていましたが、今思えば子供に気を使わせまいと、実際は無理して買ってくれたのでしょう。我が家のルールで、ゲームができるのは「土曜日の1時間だけ」と厳しく決められていましたが、それでも私の中に灯ったゲームへの愛は消えることはありませんでした。
「将来は自分の手でゲームを作りたい」
そんな一途な思いを胸に、中学を卒業した私は工業高校、そして工業大学へと進学しました。しかし、大学生活の後半はいわゆるモラトリアムそのものでした。必須科目とは別に選択できる講義をいいことに、「自分が動きやすいスケジュール」を最優先した日程を組み、結果として朝に寝て昼から活動するような自堕落な生活を送っていたのです。
そんなある日の昼下がり、たまたま点けたテレビで、あるドキュメンタリー番組が流れていました。画面に映っていたのは、山奥に暮らす高齢者のもとへ通い、優しく寄り添うヘルパーさんの姿でした。
本来、高い志を持って介護福祉士を目指した方々には本当に申し訳ないのですが、その時の私は、完全に「思い付き」の直感だけで、「自分もこんな(ヘルパーの)仕事をしてみたい」と思い始めてしまったのです。
とはいえ、在籍しているのは福祉とは180度真逆の工業大学。福祉関係の求人など1通も来るはずがありません。途方に暮れた私は、意を決して父親に相談しました。すると父は、自身の繋がりから介護の職場を紹介してくれたのです。レールから外れた息子の突飛な思い付きを否定せず、そっと道を開いてくれた父親には、今でも本当に感謝しています。
後になって母親から聞いたことですが、私が日々の業務で「腰が痛い、痛い」とこぼしているのを見て、父は陰で「息子に大変な仕事をさせてしまったかもしれない……」と、ずっと心を痛めていたそうです。面と向かっては何も言わない、不器用で優しい父親でした。
そんな私の父親は、実は銀行員でもありました。詳しくは直接聞いたことはありませんが、おそらく自身と同じ苦労を子供にさせたくないという強い思いがあったのでしょう。子供の頃から「銀行員にはなるな」と言われて育ちました。母親はごく普通の専業主婦で、家庭内で投資に関する話題が出ることは一度もありませんでした。両親ともに「お金は銀行に貯金して増やすもの」という価値観を地で行く、まさにその世代の人間です。実際、将来のために貯金だけはしっかりとするよう、厳しく教え込まれていました。
そのため、私自身も「資産運用」という教育を家庭でも学校でも一切受けることなく大人になりました。「投資=ギャンブル、怖いもの」というブレーキが、私の根底にはずっとありました。
父親の紹介で飛び込んだ介護の現場。日々の業務の中で、高齢者の方々の笑顔を守ることにやりがいを感じていましたが、現実は想像以上の体力勝負。腰痛は完全に慢性化し、身体は少しずつ悲鳴を上げ始めていました。そんな過酷な現場で、気づけば15年近くの歳月が流れていました。
心身ともにボロボロになりながら働き、貯金があるかないかも分からないような生活の中で、当時の唯一の息抜きといえばパチンコやスロット(これも今思えば十分なギャンブルですが)を嗜むだけの、ごくありふれた日常でした。今でもたまに、あの独特な騒音やパチンコ玉をはじく音、ずっしりとしたメダルの感触が恋しくなり、ホールへ出掛けてしまうことはありますが。
そんな私の目を覚まさせたのが、当時世間を大きく騒がせていた「老後2,000万円問題」のニュースでした。ボロボロの身体をさすりながら、まったく増えない銀行口座の数字を振り返ったとき、強い焦燥感が襲ってきました。「この先、いつまで身体が持つか分からない。退職金だけでこの老後資金を賄えるわけがない……」と、将来への不安が冷徹な現実として突きつけられたのです。親の貯金信仰を飛び越え、目の前にある未来を自分の力で変えたい。そんな強い渇望から、私の投資への挑戦が始まりました。
スマホ1つ、チャートも見ずに飛び込んだ修羅場|「やばい」の連続だった暗黒時代
私の性格上、バーチャルアプリでのノーリスクの練習にはどうしても身が入りませんでした。目の前にあるリアルな利益を今すぐ掴みたい。その一心で、私は最初から実弾(リアルマネー)を込めて相場に飛び込む道を選びました。
そんな私に最初のきっかけをくれたのは、介護の世界に入って15年が経過した頃に聞いた、職場の同僚からの「投資信託をやっている」という話でした。お金が増える、儲かるという話には誰しも興味が湧くものです。「慢性的な腰痛を抱えながら働く現状を変えたい。手元の資金を少しでも増やせるなら、老後の備えになるかもしれない」という必死の思いから、2019年3月、ついに証券会社の口座を開設し、投資信託をスタートさせました。
最初は1万円程度の買い付けからでした。日々の基準価額の変動から10円増えれば喜び、減ればショックを受ける日々。手元の資金は少しずつパチンコから投資信託、そして金(ゴールド)の積立へとシフトしていきましたが、当時の私は長期運用の本質を理解しておらず、評価額が少しでもプラスになったらすぐに売却するなど、目先の利益に惑わされて活発な売買を繰り返すばかりでした。
実際、投資信託は注文から約定までに数日間のタイムラグがあるため、結果として想定していた通りの利益を得られないことも多々ありました。もちろん、明確な根拠もなく銘柄選定を間違え、泣く泣く損切りに追い込まれたことも一度や二度ではありません。
なかなか思うような結果が伴わない投資生活。そんなもどかしさを抱える中、2021年3月、私はさらなる一歩として50万円を元手に個別株(デイトレード)の世界へと足を踏み入れることにしました。
しかし、当時の私にはどんな銘柄を買えばいいのか皆目見当もつきません。そこで、「自分は北国育ちだから冬には暖房が必要だ。そのためには灯油が必要になる」という、非常にシンプルかつ生活感に満ちた連想から、人生で初めての個別株としてENEOS株を購入しました。
今振り返れば、ファンダメンタルズもテクニカル分析も一切わからない状態です。その日たまたま株価が上昇していたからという、ただそれだけの理由で飛びついていましたし、10円の値幅が浮いたら我慢できずにすぐ売却してしまうなど、現在では考えにくいような安直なトレード手法でした。
ただ、今になって冷静に思い返してみると、「自分の周囲の環境を見渡し、これから何が必要とされ、何が売れるのかを直感的に察知する」という点においては、ファンダメンタルズの教科書を飛び越えて、我ながら驚くほど的確な視野の広さを発揮していたのかもしれません。
当の本人は「適当に、なんとなく選んだ」つもりでしたが、無意識のうちに生活に不可欠な超大手インフラ企業をピンポイントで引き当てていたわけですから、もしかすると、この時に私の「投資家としての隠れた野生の才能」がひっそりと産声を上げていた……というのは、少し都合の良すぎる解釈でしょうか(笑)。
しかし、現実は甘くありませんでした。環境も整っておらず、ツールはスマートフォン1つだけ。画面だけを頼りに、その日ハデに上がっている銘柄に飛び乗る典型的な「イナゴ」へと化していた私は、すぐに手痛い洗礼を浴びることになります。チャートも見ずに買った株は、私が買った瞬間が大天井。見る見るうちに膨んでいく含み損の数字を見つめながら、血の気が引き、「やばいやばい、いつか戻ってくれ」と画面に祈るしかできない無力な初心者でした。
そのような銘柄が4つほど積み重なり、切るに切れない、切らないといけないとわかりつつ塩漬け株を抱えたあの時の恐怖と悔しさは、今でも私の口座の片隅に、良い感じに「発酵」した大切な教訓(授業料)として刻まれています。時に目を覆いたくなるような損失額、そして鼻を抑えたくなるような異臭を放ちながら・・・
ドルコスト平均法という武器と、Excelの要塞|泥臭い実戦から導き出した「負けない規律」
デイトレで手痛い挫折を味わい、投資生活全体への抜本的なテコ入れを迫られていた私は、もう一度、自身の投資の原点である「投資信託」の運用スタイルから見直すことにしました。
時期は2021年の後半。介護の現場ではコロナ禍による厳重な感染対策が敷かれ、毎日が極限の緊張感の連続でした。心身ともに磨り減っていく過酷な環境。そし相場もまた、世界的なパンデミックによって株価指標が底なしに下落し、恐怖に包まれていた時代です。しかし、この公私ともに訪れた修羅場の中で、私は「長期投資の真の有用性」と「ドルコスト平均法」という強力な武器を本当の意味で理解し、手に入れることになります。
市場がパニックに陥る中でも怯まず、定期的な積立を淡々と継続したことで、価格が安いうちに多くの数量を仕込むことに成功しました。
……と言えば、いかにも私が相場の暴落に動じない強靭な精神力の持ち主だったように聞こえますが、実態は少し違います。実のところは、私の鉄の意志によるものではなく、あらかじめ設定されていた積立日がやってくるたびに、証券会社のシステムが私の銀行口座から「無慈悲」かつ「冷酷」にお金を吸い上げ、投資信託へと強制的に回し続けていただけです。現場での重労働を終え、画面の向こうで私が「やばいやばい」と頭を抱えていようが、システムは何の感情も持たず、ただ淡々と、機械的に実弾を相場に送り込み続けました。
しかし、結果的にこの「感情を持たないシステムによる強制徴収」こそが、ドルコスト平均法を極限まで発揮させる最大の味方となりました。あの世界が震えた大暴落の最中、私の意思とは無関係に、極めて安い価格で大量の数量を仕込み続けてくれていたのです。
こうして無慈悲に買い進められた投資信託たちは、現在では私のポートフォリオにおいて極めて有意な、あの暗黒時代を生き抜いた頼もしい最古参の主力として、全体の資産をどっしりと支えてくれています。今ではこの投資信託たちが、文字通り私の資産形成における「揺るぎない土台」として機能しています。その具体的なボリューム感やポートフォリオ内での立ち位置については、のちほどご紹介する資産分布の図をご覧いただければ、その「土台」の分厚さを実感していただけるはずです。
この時、相場の修羅場をくぐり抜けたことで、私の投資家としての意識は大きく変わりました。「感覚」ではなく「規律」で勝つ。その後、家庭の事情が重なったこともあり、2024年に長年勤めた介護の世界を退職することとなりました。
現在は実家の家業を手伝いながら、日中の時間をフルに活用して日々のデイトレードにも本格的にリベンジを開始しています。専業投資家と胸を張って言える段階にはまだありませんが、この限られた時間を最大限に活かそうと、大きな痛みを経験したからこそ猛烈に勉強を始めました。
本を読み、YouTubeのファクトを貪り、自分のリアルな失敗経験と知識をガッチャンコさせて、世界に一つしかない武器を作りました。伝説の投資家である清原達郎氏の手法を模して作り上げた、「厳格なExcel数式(通称:清原ロジック。勝手に命名しました)」です。
今の時代、証券会社のハイテクなスクリーニング機能を使えば、条件に合う銘柄など一瞬で自動抽出できます。わざわざこんなシステムを自作する必要はないのかもしれません。しかし、私はあえて、会社四季報のページを自らの手でめくり、泥臭くデータをこのExcelロジックに入力していく手法にたどり着いました。
数字をただ機械的に眺めるのではなく、自分の手と頭を動かし、四季報の行間から企業の背景を読み解きながら、じっくりと思考を巡らせる。この「ひと手間」をかける泥臭いプロセスの中でこそ、本当に長期投資に向いた、相場の荒波に耐えうる本物の銘柄を選定できると確信したからです。
この自作の要塞と同時に、複数のモニターを導入してチャート上に様々なオシレーターを表示させ、冷静に判断できる環境を整えました。
現在の私は、もうスマホ1つで無防備に戦う初心者ではありません。デイトレードを始めた頃から一貫しているのは、「現物取引オンリー」であることです。
差金決済のリスクを完全に排除し、銘柄の「癖」を見極め、一時的な下落からの自律反発をピンポイントで狙い撃つ。損をしたくないからこそ、エントリーは極めて慎重に行います。狙いを定めた的を決して外さない、まるで那須与一のような「一矢必中」のスタイルを確立しました。日々の利益は1日5,000円〜10,000円という地味なものですが、それをコンスタントに、何より「損失を極限まで抑えて」積み重ね続ける要塞のようなルールを運用しています。
しかし、買いからしか入れない現物取引ゆえの欠点として、地合いの悪い日はトレードを完全に見合わせることもたびたびあります。そんな動けない日は、売りからも仕掛けられる「信用取引」の機動力をうらやましく感じることも、本音を言えばやはりあります。
資産分布と、これからの課題
投資に「絶対の正解」はありません。だからこそ、私は「攻めと守りのバランス」を何よりも重視しています。
デイトレードで日々の収支をコツコツと積み上げ、投資信託やiDeCoといった長期安定資産で人生の強固な基盤を固める。そしてその中間を高配当株やコモディティ(金)で埋めていく。この「時間軸の分散」こそが、数々の失敗を経て辿り着いた今の私のメインテーマです。
現在の私の資産分布(ポートフォリオ)を可視化すると、以下のような形になります。第3章でお話しした「無慈悲な強制引き落とし」によって築かれた投資信託が、私の資産形成における分厚い「土台」として機能していることがお分かりいただけるはずです。

デイトレードの口座で「一矢必中」の規律を守る一方で、高配当株投資の口座も、信頼できる情報を参考にポートフォリオの入れ替えを行いながら、着実に資産を成長させてくれています。
しかし、その一方で挑戦を広げている「テーマ株投資」や「成長株投資」に関しては、なかなか相場に嫌われているようで、今のところは全く芽が出ない苦しい状態が続いています。一人前の投資家らしく会社四季報を熱心に読み込み、様々なYouTubeチャンネルを欠かさずチェックしながら銘柄を選定しているのですが、悲しいことに、四季報の細かい数字の羅列を見つめていても、実際のところは何が何だかよく分かっていません。あんなに泥臭くExcelロジックに入力しているにもかかわらず、です。
また、利幅をあまり大きく取れないことや、いざという時の「握力」が弱く、ビビって利益を確定させてしまうことも現在の大きな悩みです。結果として大きな上昇トレンドを取り逃してしまったり、わずか100円だけの利益を得て早々に撤退してしまったりすることも日常茶飯事です。
しかし、たとえ100円の利益であったとしても、私はそれを決して恥じる必要はないと思っています。過酷な相場の世界で、損失を出さずにプラスで取引を終えられたことは、それ自体が素晴らしい成果です。何より、かつてパチンコやスロットに興じ、貯金ゼロの未来に怯えていた人間が、一歩を踏み出して自分の力で「100円を稼ぎ出す武器」を手に入れた。その行動力だけでも、まずは自分自身を評価してあげたい……。
——と、ここまで語ってしまうのは、さすがに自分のことを過大評価しすぎでしょうか(笑)。
銘柄の表面的な話題性だけに踊らされないためのファンダメンタルズの勉強も含め、克服すべき課題はまだまだ山積みです。これらはこれからの私の、地味で大きな挑戦となります。
アイコンに込めた、常識をひっくり返す決意
少しずつではありますが、自分の力で利益を出せるようになってきたことで、私はようやく投資の世界の「ひよこ」を脱することができたと思っています。
だからこそ、このブログやX(旧Twitter)のアイコンは「ひよこ」ではなく「鶏」にしているのです。
ここで、意地の悪い見方をする人はこう言うかもしれません。「鶏が空を飛べるはずがない。つまり、それ以上は成長しないということだ」と。
確かに、生物学的な常識に照らし合わせればその通りでしょう。しかし、私はその皮肉をあえて逆手に取りたいのです。常識がどうあれ、不可能と言われようが、「いつか鶏だって空を飛ぶんだ」という姿を、私はこの相場の世界で証明したいと思っています。
思えば、人生なんて本当に何が起こるか分かりません。土曜日のわずか1時間だけ許されたファミコンに目を輝かせていた少年が、工業大学を経て、思い付きから畑違いの介護福祉士となり、ボロボロになりながら高齢者の笑顔を守り続け、そして今では市場という巨大な修羅場で投資家の端くれのようなことをやっている。一体、誰がこんな未来を想像できたでしょう。
今はまだ、地面を力強く蹴り、小さな羽ばたきで目の前の相場を生き残るのが精一杯の段階です。それでも、おやじが繋いでくれたあの時の優しさを胸に、自作したExcelの要塞を信じ、環境を整え、与一の弓を研ぎ澄まし続けたその先で、いつか誰もが驚くような大きな翼を広げ、相場という広大な大空へと高く羽ばたいてみせる。そんな強い決意を、私はこの鶏のアイコンに込めています。
かつてスマホ1つでパニックになっていた私が、どのようにして自分だけの武器を作り、現代の過酷な相場で生き残れるようになったのか。そのリアルなファクトと試行錯誤のプロセスを、このブログを通じて共有できれば幸いです。
初心者の方の不安に寄り添いながら、一緒に「負けない投資家」へと進化していく軌跡を、どうぞよろしくお願いいたします。